兵庫陶芸美術館 主な収蔵品
【 田中寛コレクション 】
兵庫陶芸美術館の収蔵品は、全但〈ぜんたん〉バス株式会社の当時の社長田中寛〈たなかひろし〉氏
(1904〜81)が昭和41年に創設した、「(財)兵庫県陶芸館」からの寄贈および購入による陶磁器913件が中心
となっています。
この田中氏のコレクションは、丹波焼をはじめ三田〈さんだ〉焼、東山〈とうざん〉焼、出石〈いずし〉焼、a平
〈みんぺい〉焼
など兵庫県内で作られたやきものを中心とした、全国有数の丹波焼および兵庫県内の陶磁器
のコレクションです。
当館ではこれを「田中寛〈たなかかん〉コレクション」と名づけ、氏の収集した陶磁器の数々と、(財)兵庫県
陶芸館の活動を後世に伝えていくことにしています。
【 丹波焼 】
丹波焼は、平安末期(12世紀後半頃)に地元の須恵器〈すえき〉生産体制をもとに、常滑〈とこなめ〉焼や渥
美〈あつみ〉焼など東海地方の陶器生産の技術を取り入れて成立しました。中世は壺・甕〈かめ〉・擂鉢〈すりば
ち〉を主に生産しました。明るい褐色に焼き上がった器面に、窯の中で焼く間に、降りかかった薪の灰が高温
で溶けて萌黄色〈もえぎいろ〉の自然釉〈しぜんゆう〉となり、人為を超えた美しい景色を作り出しています。
江戸前期になると、「赤土部〈あかどべ〉」とよばれる鉄分の多い化粧土を器面に塗り、鮮やかな赤茶色を呈
する徳利や甕などの日常品が盛んに作られます。江戸後期には、栗の皮のような色調の「栗皮釉〈くりかわゆ
う〉」や、白い化粧土を塗り色絵付を施した色絵陶器が作られるなど、多彩な技法を駆使したやきものが生み
出されました。
丹波焼
壺 銘「猩々」
鎌倉時代前期
<田中寛コレクション>

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丹波焼
色絵桜川文徳利
江戸時代後期
<田中寛コレクション>

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【 兵庫県内のやきもの 】
丹波焼のほかにも、兵庫県内にはさまざまなやきものがあります。江戸後期になると、当時の日本において
最高水準にあった京都や有田から制作技術を導入した窯が、県内各地に作られます。
淡路のa平焼は、色絵で華やかに飾った茶道具から、濃厚な釉薬で彩った中国風のやきものまで、幅広い
生産を行いました。姫路の東山焼〈とうざんやき〉は、姫路藩の管理下に置かれて、主に将軍家や大名家へ贈
答する上質の磁器製造に力を注ぎました。豊岡の出石焼は、ミリ単位の緻密な細工を施した磁器が、20世紀
初頭に欧米で開催された博覧会で人気を博して、海外に輸出されました。三田の三田焼は深い緑色の青磁が
著名です。篠山の王地山焼は、鮮やかに発色した青い染付〈そめつけ〉の模様が特徴です。
a平焼
色絵秋草文茶碗
江戸時代後期
<田中寛コレクション>

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出石焼
白磁籠形貼花菊文壺
明治時代
<田中寛コレクション>

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【国内外の近・現代陶芸作品】
一方で当館は、現代の陶芸文化振興の拠点として、日本および海外の近・現代陶芸作品を収集しており、
ルーシー・リーや、富本憲吉〈とみもとけんきち〉といった近・現代陶芸作品の収集も開始しています。
江戸時代以前のやきものは、複数の「職人」による「工房」で制作される「製品」がほとんどでした。しかし
明治維新の開国以後、西洋から新たに入ってきた「美術」という概念によって、やきものにも「作家」一人の
手によって制作される「作品」が生み出されるようになるのは、明治期も終盤にさしかかってからのことです。
新たな模様や図案の工夫に邁進した富本憲吉。2種類以上の土をマーブル上に練り上げる「練上手〈ねり
あげで〉」を大成した松井康成〈まついこうせい〉と、様々な釉薬〈うわぐすり〉の表現に挑戦した清水卯一〈し
みずういち〉の、2人の人間国宝。従来の「やきもの」の枠をこえて自由な造形表現の素材として土を用いた
柳原睦夫〈やなぎはらむつお〉や中村錦平〈なかむらきんぺい〉の作品も近年新たに収集しています。
富本憲吉
色絵金銀彩四弁花模様蓋付飾壺
1956年

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ルーシー・リー 花生
1978年

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