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第5編 歴史と伝統は続いています(弐)

「型が生みだす、やきものの美−柿右衛門・三田−」展の前期日程も残りわずかになってまいりましたが、現在、展示しています、萩(山口県)の三輪窯(※1)に伝わる土型も柿右衛門窯の土型と同様、古い歴史が秘められています。

萩焼は、慶長9(1604)年、関ヶ原の戦いに敗れ、長門・周防二ヶ国の領主として萩に入府した毛利家が、文禄・慶長の役(1592〜1598)で連れ帰った朝鮮李朝の陶工李勺光、李敬兄弟を中心に、藩の御用窯として城下に窯を築いたのが始まりといわれています。

三輪窯は、李敬を始祖とする坂家とともに、萩焼の伝統的な窯元として現在もやきものづくりを続けられており、約300点の土型が残されています。資料調査の折、土型についてお話しをうかがったところ、三輪窯では、10数点の土型については代々それらを次代に伝えるように申し送りがされているとのことで、過去から現在、そして未来へと伝統が引き継がれていく状況の一端が垣間見られました。一方で、その他の200点を超える土型については、使わなくなったため、処分するようにいわれていたものを残していたとのことで、窯元および陶工の型に対する共通した思いを改めて感じました(※2)。しかし、その中には、展覧会の図録作成のため、土型のうら面に記されている銘を確認していたところ、「普入作(※3) 延宝六十一月」とヘラ書きされた方形皿の土型がありました。この延宝6(1678)年は、これまで年代が記された土型の中で最も古いといわれていた柿右衛門窯の土型(貞享2(1685)年)を7年遡り、現在、確認されている土型の中で最も古いものになることが判明しました。

やきものの型は、絵画や漆器などの工芸品にみられる伝統的な意匠や当時の流行なども反映されており、後世に伝えるべき工芸遺産ともいえる資料的価値の高いものと考えています。「型」展を通じて、捨てられるものの中にも、歴史や伝統、美術的な側面があることを感じていただければと思っています。

来週月曜日(8/2)からは、後期日程にむけた展示替えが始まります。

(担当・大)

 

 

 

 

 



  三輪窯に伝統的に伝えられている土型の一部
(第4章 土型が伝える生産の側面−西日本の窯場より−)

 

 


三輪窯のその他の土型の展示状況


延宝6(1678)年銘の土型

 

(※1) 三輪窯は、長州藩の城下町、萩の東方、吉田松陰の松下村塾に近い場所にあります。幕末の志士が活躍した当時も、三輪窯でやきものが
     つくられていたと考えると、およそ150年前のことですが、歴史が感じられます。

(※2) 有田地域でも、土型の多くは捨てられており、窯元および陶工にとって、型は単なる製作道具のひとつであり、使わなくなった時点で廃棄物と
     して扱われています。

(※3) 三輪窯の土型に記された年号やその筆跡から、初代三輪休雪が普入と号していたことが知られており、普入作の精巧な土型が数多くつくら
     れています。

 

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